コンテンツへスキップ

tour 55 終了

tour 初のブルガリア遠征を終え、本音を言えばここからどこかを経由して日本に帰りたいところ。
が、コロナの余波(ヨーロッパでは既に終息感)で運行便が少なく、どこのフライトも鬼高。もちろん変更するにも数十万かかる。
よって、仕方なく本来の出発地であるドブロブニクに帰らなければならないのですが、ソフィア、ドブロブニク間の直行はないし、これも相当高い。誰か友人に頼んでドライブを… といっても物凄いロングドライブ。ということで必殺アプリを初めて使い、ヨーロッパ超ロングドライブ入札システムで車ゲット。飛行機よりもはるかに安い3人で10万円を切る価格。
結局、たった800キロくらいの距離ですが、高速ほとんどなし、国境渋滞(出稼ぎの方々多い)、羊の群れに邪魔されるボスニアの山道、で、ブルガリア、セルビア、ボスニア、クロアチアと4カ国横断で14時間。それもたった1回の昼食休憩のみでプロドライバーは頑張り、無事にドブロブニク空港からウイーンを経て帰国。
ギャラリー(写真が多いので2部に分かれています)も完成しましたが、参加してくれたジュニアの皆さん、応援してくれた全ての皆さん、10名すべての参加者が無事に帰国できました。本当にありがとうございます。
前後ほぼ3ヶ月の遠征となりましたが、この経験が子供たちやご家族にとって良い思い出となり、今後の人生において役立つ事を祈っております。

次回は11月からのフロリダ遠征と来年1月のオーストラリア遠征。要項もうすぐ出ますので見てね。

さてコラムらしき事を。
みなさんご存知の通り今や世界のテニス界はヨーロッパ中心。オーストラリアやアメリカが王国だった頃を知らない方も多いのではないでしょうか。
今回もクロアチア、ブルガリアと東欧諸国を旅しましたが、理由はもちろんこの東欧です。
随分前に書きましたが、ソビエト連邦時代、つまりはウクライナもベラルーシュもアルゼバイジャンもない東欧のほとんどが社会主義時代、ソビエト連邦全部から外国に出国できるテニス選手は全部で4人。KGB護衛(亡命されないように)付きで。その本人からの話。
チェコスロバキアは男女1名のみ。レンドル、ナブラチロワ。チェコで2位だった僕の親友は選手を諦め大学へ。ブルガリアも全く同じ。
この時代、この東欧から何人グランドスラムに出場していたかと言えば、多分男女合わせても20名そこそこだったでしょう。

社会主義崩壊後、庶民でもテニスができるようになり、出国できるようになり、怒涛の移民ラッシュとなり、賞金を稼げるプロを目指す選手が頑張れる環境ができた事で爆発的に東欧選手、もしくは東欧出身の多国籍選手がどんどん出てきたのが21世紀に入ってくらいから。
名字だけ見ても、もはや東欧の選手がどれだけの数グランドスラムに出場しているのかというと、ロシアなんで数え切れないし、チェコ、スロバキアだけでも以前の30倍。
つまり、ヨーロッパ全体のレベルが上がったのではなく、東欧諸国の爆発によって今のヨーロッパ中心が出来上がったわけです。まあ、カナダに移住した東欧選手も凄いですが。アメリカに移住した東欧人ももちろん多数。

よく聞かれますが、ではなぜに東欧諸国の選手はテニス選手として成功していくのか?、まあこれはいずれ。

小学校しかまともに卒業していない僕が世界のテニスを語るのは甚だお笑いですが、ここには書けない多数の事実ももちろんあり、そして目指すものはただ前を向いて走るしかないという現実を踏まえ、僕を含む現場の人間は行動してほしいと思いますよ。学者じゃないし。

何やかんや言っても頑張って勝つしかないのですから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください